現在の日本社会に於いて「高齢化社会」との事情は国民全体にとって切り離す事の出来ない重要な事の一つであります。
勿論、日本のみでなく世界の多くの国でも直面している大きな事であります。
時々ニュース等でも報道されています「認知症」との言葉。
年々「認知症患者」は増加傾向に有るとの状況であります。
私の父も「認知症」を発症し、現在は「要介護5」の状態へと変化してきました。
私自身その状況を色々と見て来た中で感じる事は、現在50代前半の私達夫婦が70代になった頃は「今よりももっと厳しい状況になる」との予想であります。
「介護される人」と「介護する人」とのバランスは2025年の現在よりも「もっと悪くなっている」との予想であります。
2018年夏頃に認知症を発症し始めた父、私がお盆休みに帰省した時は「ちょっと勘違いしたのかな?」と感じる程度でごく自然な状況でした。
当時父はシルバー人材センターより頂いた仕事をしており週に3日程通っていました。
しかし、秋頃から「母自身何度も不思議に感じる」位に「毎違えた記憶」の発言が増えてきたとの事でした。
その状況ですから、仕事に関しても自然と「お断り」の流れへとなってしまいました。
2018年の年末、私は年末年始の連休を利用し再び実家に帰省しました。
その時に会った父は普段と変わらぬ状況で私と会話を交わしていたので、母が時々教えてくれていた「不思議な発言の内容」の事がまだ理解出来ませんでした。
そして新年2019年を迎えた3日目の夜、私は「父が認知症と確信出来る体験」しました。
私が夜に帰宅し既に隣の部屋(襖で仕切られた)で寝ていた父が突然起き上がり「鬼の様な形相」で怒り出したのです!
そして意味の分からない発言をしながら私に殴りかかって来ました。
「どうたの?大丈夫だから!」と伝えながら父の両腕を抑えていると、少しして急に落ち着き「ハハハ」と笑いながら布団へと戻って行きました。
寝る準備をしていた私は「ビックリ!」と共に「何がなんだか分からない」状況。
別の部屋で自分の趣味の作業をしていた母も流石にその時の声に気が付きました。
そして数分後、寝ていた父が再び同じ行動を取ってきました。
結果としてその行動は3回繰り返され、その後、父はしっかりと睡眠に入りましたが、私は「父が認知症である」と確信出来た事で、布団に入ったままスマホを使って色々な事を調べ始めてみました。
調べたい気持ちは最優先でも有りましたが、その時は再び父が起き上がって来る(4回目)との心配も有り眠れないとの面もありました。
母は別の部屋に居たままでしたので、私が母の所へ直接会話をしに行くと父が起きて来てしまう心配もあったので、その時は「携帯電話のショートメール」使い簡単な会話を交わしました。
翌日朝、起きてきた父は「昨夜の行動」に付いては全く触れて来ないですから、私達2人も会話にその事は出さずに自然に過ごしていました。
私が調べた事の中に実家のある地域に「高齢者支援センター」と言う相談出来る存在があり、1月4日は平日との事から私はちょっと外へお出掛けと伝え外出し、その時に「高齢者支援センター」へ電話を掛け相談し、そこから「家族の認知症問題」がスタートしました。
私が感じる事として「家族の認知症問題」の最初の難関は「本人をどの様にして認知症である事を認めてもらうか」だと思います。
本人が病院へ通院する事が重要なのですが、かなりの高確率で「本人は認知症を認めません」
宮城県で生活していた私は、「高齢者支援センター」の方と「母」と電話にて連絡を取り、その対策方法を考えました。
その第一難関は、「高齢者支援センターの方々」のプロのアドバイスにより我が家としてクリア出来、父は通院開始です。
本人も「認知症」を認め通院とくすりの服用、「高齢者支援センター」から持続的なサポートの元、他の認知症の方々との交流の場などを通じて日々を過ごしていました。
身体としては健康だった父、歩く事に関しては全くの問題なし。
しかし、それが逆に問題となる要素の一つでもありました。
72歳で認知症を発症した父、認知症患者としては「若年性」に入るとの事で、より高齢化してからの発症よりも進行が早いとの事です。
病院へ通院し薬も服用している物の「記憶や発言」に関しては少しずつ悪化してきている事が感じられました。
2019年のゴールデウイークには、私がその年の2月に購入した車を走らせ実家へ規制し、父母を乗せて「富士山の麓」や「清水のさかな市場」へドライブ誘う事も出来ました。
こちらのブログでも紹介している様に、私は妻と2019年11月に出会い約1ヶ月半にて「婚約」。
その年の年末年始に「妻を連れて実家へ帰省し父と会ってもらう」との事も実行出来ました。
父の認知症は進行しつつも、「妻ともしっかりと会話が出来」喜んでくれました!
2020年入ってからは、記憶障害はより進行しつつも身体は健康な健康な面から一人で出掛けてしまう回数が増えてきました。
何か昔の記憶が出てしまう様で「昔の居た場所へ帰ろうとする行動など」
現在住んでいる場所も分からない状況ですから大変なのです。
市よりレンタルしていたGPS発信機を常に持たせていた事で場所はある程度特定出来助かってもいました。
本人は既に「夜」と「昼」との感覚も分からなくなっている様で夜中に突然着替え始め「仕事に行ってくる」と言う時も有ったそうです。
父が家を出ていってしまう時には毎回母が直ぐに追い掛けたとの話を聞く中、ある時には夜遅くに家を飛び出してしまい母も直ぐに後を追い、本人を無理に引き返させる事が難しい事から「一緒に散歩しようと伝え」まだ営業していたスナックへ入店しウーロン茶を飲んだとの話もありました。
しかしある時、夜に突然家を飛び出して行ってしまった父を母は追いきれずの事態発生!
警察へも連絡しても見付からず・・・
結果、明るくなってからの時間帯にどなたからの通報と警察の協力により無事に確保となりました。
しかし川の近くで倒れていたとの事と寝間着は足の部分が汚れているな等の状態。
一晩中何処をどの様に歩いていたのか・・・ 熱も出ていた事で警察署から病院への移動となったとの話でした。
私のスマホにも早朝に知らない番号からの着信がありましたが、その時の電話番号は警察署からの電話だったのです。
その後父は、掛かり付けの病院にて入院を続ける流れへと変わったのですが、その一件以来「認知症の状態は一気に悪化」となりました。
2020年と言えば「コロナの第1波」が広がり始めた時期です。
私は父が入院する病院へ面会に行きたいと考えましたが、その時期の病院は「面会不可」との状況となっていました。
母自身も面会に行く事は出来ず、父の状態を詳しく知る事は出来ませんでした。
2020年11月へ入るタイミングで「面会が許可され」、その時に私は妻と一緒に東京へ行き入院中の父と会う事が出来ました。
既に「殆ど話す事は出来ない」と聞いていた中で「2人のみ10分ほどの時間面会可能」との条件の元、病室へ入り約1年ぶりに父と会う事が出来たのです。
殆ど言葉を話す事が出来ない父、記憶もどの位まで残っているのかも分からない中でしたが、わたしの顔を見て小さな声で「ありがとう」と一言伝えてくれました。
今でも私の頭の中にはその時の映像はハッキリと残っています。
それ以外の言葉はその後出てきませんでした。
看護師さんも近くにいて乾いた口を湿った濡らす看護などを行って貰い、看護師さんが話し掛ける言葉に軽く反応して笑う表情も確認出来ました。
コロナは第2波へと移り結果として「面会可能期間は一週間のみ」と変わっており、私は仕事の休暇を頂き良いタイミングで面会へ行く事が出来たと感じました。
父は既に口から食事も出来ずへと変化、「胃ろう」と言う直接胃に栄養剤を投与する状態へと変わりました。
この時点で「要介護5」へと変わりました。
約3ヶ月程病院へ入院した後2021年に「特別養護老人施設」への移動が決まり、沢山の方々の助けにより無事に移動となり、私も母もとても感謝しています。
その時に知った事ですが「特別養護老人施設」は何処も順番待ちとなっており入る事が難しいとの話です。
2020年の段階でも難しいとの事、現在の2025年は「より難しい」との話も聞いています。
「特別養護老人施設」にて沢山の方々から介護との手助けを頂きながら父は生活を続けている状況、私達夫婦も面会へ行く事を感考えてみましたがコロナ禍により面会出来ず。
面会が可能になったのは2022年中旬となりました。
その時に会えた父は、既に「言葉は何も話す事は出来なくなっており寝ているのみの状態」でありました。
それからも年に数回、私達夫婦は父が生活する「特別養護老人施設」へ足を運ぶ様にしています。
2025年に入り今年最初の「父のもとへ訪問」は、おトク切符キュンパスを利用して行く事に決めました。
皆さんもご存知の「キュンパス」利用の仕方によっては割引率がとても大きくなる超素敵な切符でありますね。
私達の場合「仙台ー東京」間の新幹線料金で考えてみると、往復23000円/一人が10000円に変わるのですから50%以上の割引と考える事が出来ます。

予約は「えきねっと」からとなります。


「1日間用」の利用考え「東京日帰り」として計画を進める事に。


最寄りの駅の自動券売機にて発券した切符がこちらです。

前日の私の帰宅時刻が夜中でしたので、10時台のはやぶさ号に乗車としました。

向かいのホームには「ディズニー仕様」のはやぶさ号。前回も見掛けていたので、何だかラッキーな気持ちになれました。



乗車する「はやぶさ号」の入線。

車内で食べるお昼ご飯を仙台駅構内にて購入。車内での食事は楽しみの一つであります。

妻が食べる予定だったサンドウィッチを貰いました。

東京駅にて新幹線を下車、他を乗り継ぎ父の居る「特別養護老人施設」へと向かいました。
先に施設に到着していた母とも1階にて合流し、父の居る部屋へ。
私達夫婦は「お父さん◯◯来たよ!」と耳の近くで声を掛け、身体に手を当てていました。
父は目を空ける事も有りませんが、眉の辺りが時々動いています。
「ウーー」と言う力強い声は時々上げてもいました。
こちらの施設にて現在で3年間が過ぎ、きっと言葉は一言も発していないと思います。
父の前で3人で記念撮影を行い、私は父に「〇〇は毎日楽しく過ごしているよ!」「ありがとう!」と伝えました。
父からの返事は無くても、私達の声はきっと届いていると信じています。
施設から出た後は3人で最寄りの大きな駅までバスにて移動、そこから3人で食事としました。
現在一人で生活している母とも今後の事など色々と話しながら1時間半ほど食事を楽しみました。
私達夫婦は、再び東京駅方面へ向かいます。

19時台の「はやぶさ号」に乗車、東京駅の景色はすっかり暗くなっています。

東京駅のお土産コーナーとなるグランスタにて美味しそうな品をゲット。


持ち帰り用として冷凍されていた事から「非常に冷えたスイーツ」となっています。

美味しい! 車内にて早速頂くのも贅沢で良いです。

この様にして日帰りにて今年1回目の「父との面会」を行ってきました。
今回の内容は、普段記事として紹介している「オススメのお店」とは大きく違った内容としてみました。
「認知症問題」は、現代の日本に於いて増加傾向にある問題の一つで有り、多くの方々も耳にした事があると思います。
しかし、実際に身近で「認知症」の方が居ない場合、遠い出来事の様にも感じてしまう私は想像出来ます。
私の体験談がどなたかの役に立てたら嬉しいと思い、また私自身も記憶がハッキリとしている間に文章として残したいと思い書いてみました。
私達夫婦は普段から「健康こそ一番の財産」と話しながら、毎日を楽しく過ごしています。
皆さんも毎日を沢山楽しみましょう!
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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