今月3月16日の夜23時に宮城・福島沖にて大きな地震が発生しました。
日本は「地震大国」とも言われ、日本のどの地域に住んでいても常に「地震と隣り合わせ」の状況とも言えます。
日本に住む人で地震を体験していない人は皆無と思いますが、その一方、世界全体で見ると地震を体験したことが無い人も居ると思います。
日本は地震が頻繁に発生する事もあって、建物の耐震性は世界の中でも「トップクラス」と言えると思います。
日本各地で発生した比較的大きな地震のニュースを見ても、報道された内容として「倒壊した家屋の数」は少数とも感じます。
その倒壊した家屋の多くは古い建物が多いと思いますが、比較的古めの築40年を超える様な大きなビルでも「震度6」の揺れを感じても倒壊する事は少ないと思います。
今回の地震でも宮城県南部では「震度6」との観測結果が出ていました。
この「震度6」の揺れにも耐えている建物ですので、日本の建築技術や建築基準は素晴らしいと感じます。
海外での大きな地震発生の報道を見ると、多数の大きく倒壊した建物の映像を目にします。
この部分は「震度に対しての建物の耐震性の違い」を感じる面も有り、もしも日本と同じ耐震性が有れば、被害を小さくする事が出来たのでは無いかとも感じます。
勿論、一度大きな揺れを経験している建物の耐震強度は下がっていると思います。
宮城県内の事で考えると「11年前の東日本大震災」を経て現在でも残っている築40年を超える大きな建物が、また同じ大きさの地震に遭遇した場合「耐えられるかどうか」分からない状況です。
どちらかと言うと「厳しい」との考えもあるので、早めの対策(建替え等の)が必要とも思います。
日本人は「地震に慣れてしまっている」との事も有るので、建替えなどに関しては「この建物はまだ大丈夫」と考えてしまう面も有ると感じます。
勿論、建替えには大きな金額が必要となる話なので簡単な事でないと理解出来ますが、沢山の内容が有る中で「大きな地震に対して意識を高め」、お金の使い方の優先順位の見直しが必要と感じます。
16日夜に地震が発生した際には、私は仕事中でした。
23時36分との時刻「もう少しで仕事終了」と考えて片付けを始めていた状況での地震発生となりました。
建物の外へ皆で避難した後、建屋前の駐車場にて待機していました。
各自家族と連絡を取り合う状況の中。私も「妻」と「妻の両親」「自分自身の母親」へと電話を掛けました。
「妻」と「妻の両親」は同じ宮城県内で生活している事から、同じ揺れを感じていた事は想像出来ていたので、先ずは「お互いの安否確認が重要」と感じていました。
2人共電話がつながり会話出来た事で安全が確認出来、一先ず安心出来ました。
仕事中であった私は他の従業員と一緒に30分程職場にて待機となり、家の事も心配で早く帰宅したい気持ちを抑えながら解散の指示が出るまで待っていました。
余震発生の可能性も有りますし、地震発生後の状況は全く分からないままで自由に従業員帰宅させてしまっては、安否確認が取り辛くなってしまうからです。
その後、解散(退社)の指示が出て各自帰路へと着きました。
夜中との時間帯、辺り全体は夜の暗闇となっています。
マイカーを運転して帰宅する私も家の事が心配で急いで帰宅したい気持ちでしたが、普段と同じ速度を出して運転する事は控えました。
その理由の一つは、普段利用している通勤ルートは「東日本大震災」発生した時、何カ所かで道路が陥没していた事を経験していたからです。
今回も「東日本大震災」の時と同じ状況の可能性が有ると考え、ライトに照らせる道路を注意深く確認しながら運転して行き、対向車が来る事を確認出来ると道が通行可能と判断しながら進んで行きました。
夜中で有りながらも普段よも交通量が多いと感じました。
住宅地を通って行く際には、部屋の明かりが点いている家が多いとも感じながら走っていました。
途中、国道4号線の大通り添いに有る24時間営業のガソリンスタンドには長い行列が出来ている状況も発生。
私は普段からもマイカーのガソリンを補給している性格ですので、その時もタンクの3分の2程のガソリンは入っていましたが、家の近くガソリンスタンドで満タン補給してから帰りました。
こちらのガソリンスタンドに行列は出来ていませんでしたが、それでも夜中としては普段よりも利用者数が多かったと感じます。
普段よりも時間が掛かりながらも無事に家に到着です!
マンションのエレベーターは使えなくなっていた事で、外からの階段を上って行きました。
オートロックマンションですと、基本外の階段からマンションへ入る扉は「鍵が無いと外から開けられない」となっていますね。
エレベーターが動かない状況で外扉の鍵を持っていないと、結果として2階以上の通路には入れないとの事となってしまいます。
この部分は「オートロックマンション」の不便な事の一つになると思います。
家に入った私は、最初に妻の顔を見て安心出来ました。
停電していなかった事から妻は部屋の明かりをしっかりと付けて、テレビからの情報を得ながら急いで「お米を炊いて」「風呂沸かし」も行ってくれていました。
部屋の中の落ちた物なども一部片付けてくれていました。
割れた花瓶などは、そのままにして貰い次の日の朝に片付ける事としました。
私達の住むマンションでも「震度6」の揺れを体験していた所ですが、普段から地震への備えとして「物を固定する」などを行っていた事で、我が家の被害は最小限に抑える事が出来たと感じています。
休日に入ってから実家の様子を見に行く事としました。
電話にて状況をある程度聞く事が出来ていたので心配は少なかったですが、実際に直接顔を合わせる事に大きな意味が有るので、夫婦2人で足を運びました。
実家へ寄る途中で、「ケーキ」と仏壇へのお供え用「おはぎ」「団子」等を買ってから向かいました。
実家の家の中も既に片付けは終わっていましたし、家具が倒れる等に被害も無かった事から普段と同じ部屋の様子を見る事が出来、より安心しました。
母も同じくケーキを購入して待っていてくれ、先ずは私達が買って来た方の「ケーキ」を一緒に味わいながら色々とおしゃべりを楽しんでいました。
おしゃべりの途中、母が私にプレゼントを出して来てくれました。
私達夫婦が普段から色々と手伝ってくれている事へのお礼との気持ちからの、私へのプレゼントです。
「ユニクロのギフトカード」
ユニクロで服を購入する機会の多い私にとって大助かりとなる品物であり❝とてもありがたいプレゼント❞ですね。
その後、銭湯へ行っていた父も帰宅し部屋の中で4人での楽しい会話へと進んで行きました。
再び「大きい地震」を体験した4人ですが、直接お互いの無事を確認出来て安心しました。
自身は「いつ」「どこで」発生するか分からない事ですから、普段からも顔を合わせ情報を共有する事が重要です。
帰りには「母が作ってくれた角煮」も持たせてくれました。
その日の夕食のメニューとして美味しく頂く事が出来て感謝ですね。
この「角煮」は先日母へプレゼントした「電気圧力鍋クッキングプロ」で作ってくれた品です。
先月70歳を迎え、今まで長くパート勤めしてきた仕事を退職し、時間が出来た今を楽しんでくれている内容の一つでもあります。
「美味しい」との気持ちと「嬉しい」との気持ちの両方が合わさって、より幸せな気持ちになる料理ですね。
私達夫婦が帰る際には「食べ物」以外に「トイレットペーパー」と「洗濯洗剤」を持たせてくれました。
母は、これらの品を常に備蓄する様にしていて時々帰りに持たせてくれます。
この母の考えと行動は、今は亡き母方の母である「おばあさん」がその様に行動していたとの話で、現在は母が私達に同じ事を続けてくれています。
日本で生活する私達にとって、地震は今後も発生する事と分かっていますが、この事を̠だけに考えずに防災意識を高め、普段からお互いが健康で居る事にも努力して行きます。
その中で家族と会う機会を沢山作り、一緒に沢山の経験をしながら「人生を楽しむ」が大切ですね。
今回の地震発生後に連絡を送ってくれた友人に感謝です。
お互いが住む地域でも地震のリスクがある中、お互い防災への気持ちを共有しながら過ごし、「離れていても大切に思う」の気持ちを重視したいと考えています。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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